最も身近な神秘

さて、なぜこんなにも占いと言うのは話の種として優秀なのだろうか?
昔から占いは多くの人を魅了してきた、現代に至って未だになくならないことと、多くの占いが存在することからもそれはわかるだろう。
かく言う私も占いというものに非常に惹かれた時期があり、学生時代は占星術やタロット占いに手を出していたし、これらは今も結構信じている。
良い結果がでれば嬉しくなるし、悪い結果になれば気もそぞろになってしまうだろう。
占いは不思議と「当たっている」と感じてしまう人が多数いる、私も考えればあれがあたっていると思うことは多い。
いずれも科学的に考えれば再現性もない不確かで曖昧なものであるが、しかしそこに感じる神秘は不思議と人を惹きつけてやまないのが、占いの魅力なのだろう。
人は都市伝説や神かくし、幽霊などの超常現象といえばいいだろうか、不確かで曖昧、科学的に解明できないものを信じたいと思っているのかもしれないし、私はそうしたものが実在してほしいと思っている。
その最たるものが占いなのだろう。
故に人の心を惹きつけてやまず、多くの人にとって話の種となり続けるのではないか。


神秘を信じるなら+1!

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金運占いは話の種
私の周りで占いの結果に振り回されるような人はあまり居ないが、それでも話の種には優秀らしく今日の結果は◯◯だった、というのをちょくちょく耳にするし、巻き込まれる。本気で信じている人は居ないのだろうが、それでもいい結果に喜び悪い結果で落ち込んでみせたりと、一種のコミュニケーションツールのような具合に今日の運勢、特に金運の話題が上がる。健康運では悪い場合に茶化せないし(少なくとも私はしないしされたくもな
結果は特に気にしてない?
そんな話の種の金運占いであるが、健康運や仕事運はともかく、こと金運占いに関して私は当たったと感じたことがない。これは私が朝の番組のおまけ占いなどを信じていないのも原因かも知れないが、予定外の出費があるかも、という結果の日に予定外の出費をした記憶は特にないし、臨時収入があるかもという結果を頂いた日に臨時収入があった記憶もとんとないのだ。だが最近、これをただ自覚していない可能性に気づいた。先日パソコン
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占いとはどういうものか
私にとってはという注釈がつくが、占いとは人を不幸にするものであってはならない。そもそも占いの結果でどうやって人を不幸にするんだという意見もあるかもしれないが、病は気からという言葉もあるぐらい、人というのは精神的なものによる影響を受けやすい。占いの結果を気にしすぎると悪いことを招きかねないと思っている。朝のテレビでよくやっている「今日の運勢」などは、恋愛運や仕事運、金銭運などが中心になっているが、こ